



一ヶ月前に電話連絡があった
広島市内の小学校の児童たちがバス3台、約150人がやってきました。午前中はダムへ行ったり、学習したり、午後からは太田川近くの公園で遊んだようです。昨日は違う学校の児童100以上が太田川に入って遊んでました。もう秋なのに子どもは元気ですねー。




JR可部線が走っていたときは、多くの子どもたちが安芸太田町にきてくれてました。名勝「三段峡」も最近はめっきり観光客が少なくなったようです。
思い起こせば数年前、可部線存続運動を展開していました。三段峡から可部まで多くの方達が存続を願って行進もしました。可部線ジャンバー、Tシャツも作りました。お座敷列車、お見合い列車、雪見列車、毎週連続の神楽ツアー、野球観戦ツアー、地域によっては一日中乗っているというのもありました。乗車率を上げるために、地域の方達に運賃の補助もやりました。私も朝早く起きて、三段峡まで行き、折り返して仕事場に出勤していました。懐かしいなー。
あの時は、行政、住民、ひとつの目標に向かって行動してましたねー。可部線は廃止となりましたが、地域の活性化がされ、今でもその残り火は燃え続けています。




今思えば、
可部線は重要だったなーと思います。JRから補償金つけてもらうとき、もっと多くの金額を要求すればよかったと思います。当時数億円だったと思いますが、50億円ぐらい言ってもよかったと思います。JRの存続は出来なかったとしても、民間で5年や10年はやれたかもしれません。JRがやっているときは出来ないことが、出来たかもしれません。
時を戻すことができるなら、10年さかのぼって、もう一度可部線存続運動をやってみたいと思います。とても大きな損失だったと思います。
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